普段から「合気」という言葉をよく聞く。
開祖が目指したというか、覚った「合気」とはなんだろう?
哲学的でもあり、信仰でもあり、技でもあり、理解するには奥が深い。
また、大東流では「合気」は「技術」だと言う。
いったい、なんなんだろう?
植芝合気道と、大東流合気道では「合気」という意味合いが一般的には大きく異なるらしい。
ただ、いろんな文献を読んでいくと、技がかかる時は同じような作用が起こっているみたいだ。
「ふわっと包まれたように投げられた」
という言葉が多く出てくる。
稽古をする中で、「合気」とはたんに「技術」だけではない、ということがおぼろげながら思うようになった。
なぜなら自分の「心のありよう」が影響するから。
ちょうどそのような時に1冊本を見つけて読んでみた。
ある大東流合気道の先生の本だが、
・・・「汝の敵を愛せよ」・・・原理として必要なものは、ただキリストによるこの教えだけなのだ。この僕にとっては。
と書いてあった。
この方は、癌にかかったりして波瀾万丈の生き方をされている学者さん。
合気のヒントが、もちろん稽古の中にたくさんあったみたいだが、覚るという部分では
普段の生活、生き方からきている。
たぶん大東流の中祖・武田惣角、合気道の植芝盛平もなにかあったに違いない。
植芝開祖は大本教に出会って劇的に変わったらしい。
うちの師範の生き方も同じようだ。
事業でなにか目指そうとしている。
仕事ではなく、修行の一環なのかもしれない。
いつかは何かが自分にも見えてくるのだろうか?