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五輪の書
2008 / 02 / 06 ( Wed )
昨日から宮本武蔵の「五輪の書」を読む。
今まで読んでいなかった。
世間で言われているように実践的のように思う。
「二天一流の兵法の道」
第一に、邪心を持たぬこと。
第二に、二天一流の道をきびしく修行すること。
第三に、広く諸芸にふれること。
第四に、さまざまな職能の道を知ること。
第五に、ものごとの利害損得をわきまえること。
第六に、あらゆることについて、ものごとの本質を見分ける力を養うこと。
第七に、目に見えぬ本質をさとること。
第八に、わずかなことにも、注意をおこたらぬこと。
第九に、役に立たぬことをしないこと
単純だが、難しく、奥が深い。
剣の組太刀の稽古にも役にたつと思う。
「五輪の書」はすばらしかった。
武蔵に剣は儒教を体現してますね。
儒教は禅によって下ごしらえされて始めて機能します。
組み太刀は通常仕太刀と受けと別れます。
上級者が受けをします。
しかし、合気道の剣は仕太刀も受けもなく、相手といかに和合するかという剣です。
これが禅の世界に通じます。
なるほど!です。
仕太刀、受け太刀がない、ということなんですね。
ニュアンスとして、理解できます。
仕と、受があるだけでは、「ただの斬り合い」ですね。
それでは、「合気道」ではなくなる。
どこか針ケ谷夕雲の「相抜け」と近いような気がします。
「畜生剣」にはなってはいけないという事だともわかりました。
また「禅」と通じるという点では、「ありのまま」を受け入れる。
「我」がなく、存在している、融合しているということでしょうか?
老子とも似通っているようですね。
たしかに稽古しているとき、「我」= 投げようとか、固めようとか、いろいろ作為がある時は、技がかかっても不自然で、「我」がなく、相手が来たときに無意識にかけた時の方がしっくりきてますね。
この時の一体感が、合気されている状態でしょうか?
合気とは、カメラマンさんが常にやっている事だと思います。
例えば、ブライダルのフォトを撮影しているときは会場の全ての人と一体になり、確実なポイントを得て撮影してます。
シャッターを切るときが剣の切り結ぶということだと思います。
今はよい修正が後から出来ますが、剣では修正ができません。
その瞬間しかありません。
自分の意図しない瞬間にベストな写真が生まれる事があると思います。
その瞬間を剣で結ぶということだと思います。
禅は写真で言えば、後修正です。
つまり、瞬間を修正するのではなく、活かすということですね。
奥は深い・・・
なるほどです!
今、その一瞬なんですね。
昔の戦国時代や、幕末の頃の武士達は、
その一瞬一瞬を大事にしてたんでしょうね。
そこまでは無いにしても、少しでも近づきたいです。
ビジネスも同じですね。