心に残った文章
2008 / 07 / 29 ( Tue )
Amebaブログの方にブライダルのブログをしている。
GO HAPPY! こちらね
そこで、読者登録させていただいている豊田道場のブログがある。
なるほど!と感心した文章があった。
これはうちの師範も言ってることが同じだな〜と思った。
(すみません、勝手に拝借しました。)
合気道に触れる人たちは、同じように進むべき道を見つけるのかもしれない。
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合気道は鏡
合気道は武道であり道である。
道は遠くまで続いて果しがない。
しかし、
身近にあり足もとに在る。
道に立つ者は何時も
道の始まりに立っていることを
知るべきである。
つまり
常に初心を忘れず、
“道に達した”と
自惚れることは禁物である
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斎藤先生の言葉であるらしい。
師範を見ていると、合気道 = 生活 = 人生
を体現しようとされている。
自分はなかなか目の前にある仕事や、プライベートの問題で精一杯。
けれども、大きく合気道が影響を与えてくれている。
剣から
2008 / 07 / 23 ( Wed )
「足至り、腰至り、剣至る」
今日読んだ剣の本にのっていた言葉。
合気道も同じようだ。
師範の言葉より
2008 / 07 / 20 ( Sun )
mixiで仲が良い仲間だけでやりとりしてる中、
師範から書き込まれた内容。
どうかな〜と思ったけど、前回のブログの内容の答えになりそうなので、
許可いただいてないけど拝借してみた。
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稽古の時の組み合わせは、その時の指導者が本来は見たほうがよいでしょう。
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なぜかというと、空さんが言うように型を得るには、
誰と組むかによって稽古のテーマが夫々生まれてくるので、
それを大切にしないと、『できているつもり』いわゆる、
カメラマンさんが言われる『馴れ合い』の延長でしか過ぎません。
私が指導する場合は常にテーマをもって誰と誰を組ませるか考えたり、
組んだ状態を見て、この組み合わせはどの様なテーマで指導するかを考えます。
基本的に師範代や指導教士はそのあたりを常に全体を眺めて、夫々に指導するのです。
それが、指導者自身の稽古でもあります。
つまり、その日の稽古責任者の仕事なのであります。
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これには目からウロコ、ちょっと自分が浅はかだったな〜と反省させれた。
これは自分への課題でもあるので、今後気を引き締めて行こうと思う。
明日は、夕方5時から4時間の特別自主稽古。
体力が持つのやら・・・
稽古の相手
2008 / 07 / 12 ( Sat )
道場で、だまって全体を見ているとき、
「さあ!誰と組むか?」
その、みんなの行動を見るのが面白い。
普通は、目の前にいる人や、目が合った人を選んでいる。
その「なんとなく」選んだのは、正解だと思う。
好き嫌いで相手を選んでしまうと、自分が伸びなくなる。
いろんな人と稽古しないと、クセが出来てしまう。
ただ、残念なことに選んでいる人もいる。
(男性にね、女性は潔く誰とでも組んでいる)
あえて、自分が苦手な人と組むのが一番いい。
この方が、上達する早道だ。
振り返れば、「この人いやだ〜」と思う人がいた。
その人と稽古する時が、一番よかったように思う。
相性がいい人と、稽古すると、
「いかにも、技がかかったように感じる」
しかし、これは受けが合わせてくれていたり、誘導していたりする。
なので、本当の技はまだ身についていない。
自己満足の稽古になってはいけない。
自己中な人、KYになっている、いつ気づくかな〜?
なまってた・・・
2008 / 07 / 02 ( Wed )
今日はかなり久しぶりに稽古に行けた。
行こうと思っていても、急ぎの仕事が入る。
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今日は剣を使った入り身、体の変更。
相手に入り身や、体の変更で入るが、足腰がふらつく。
これは腰で動いていないため。
しばらくして、動きも馴染んでくる。
何事も腰だ。
腰でまわる。
腰で捌く。
腰でかける。
腰で投げる。