たまたま本屋で気になった本。
中国・少林寺の「気功」の本。
体を徹底して鍛え、体をつくり、気が使えるようになるらしい。
その武術と、気功の積み重ね1300年。
途方もない年数を伝えてきているものだ。
体を壊す武術、体を治す気功。
一見対立するものだが、表と裏、1つのコインだ。
元々、禅寺であるため修行の1つ。
その中で「生活禅」ということが書いてあった。
普段の生活が「禅の修行」
このあたりは日本の武士道と似ている。
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「氣」ということで、自分は氣はわからない。
そうかな?と思うようなことはある。
合気道の稽古しているときに、自分と相手のラインを感じることがある。
これは自分と相手をつなげているライン。
このラインをたどれば、技がかかることがる。
これもひとつの氣なのかなと思う。
その中でも体の使い方も大事だが、
「呼吸」がかなり影響を与えているようだ。
気功も合気道も呼吸が大切。
「合気」ということ
2008 / 03 / 11 ( Tue )
普段から「合気」という言葉をよく聞く。
開祖が目指したというか、覚った「合気」とはなんだろう?
哲学的でもあり、信仰でもあり、技でもあり、理解するには奥が深い。
また、大東流では「合気」は「技術」だと言う。
いったい、なんなんだろう?
植芝合気道と、大東流合気道では「合気」という意味合いが一般的には大きく異なるらしい。
ただ、いろんな文献を読んでいくと、技がかかる時は同じような作用が起こっているみたいだ。
「ふわっと包まれたように投げられた」
という言葉が多く出てくる。
稽古をする中で、「合気」とはたんに「技術」だけではない、ということがおぼろげながら思うようになった。
なぜなら自分の「心のありよう」が影響するから。
ちょうどそのような時に1冊本を見つけて読んでみた。
ある大東流合気道の先生の本だが、
・・・「汝の敵を愛せよ」・・・原理として必要なものは、ただキリストによるこの教えだけなのだ。この僕にとっては。
と書いてあった。
この方は、癌にかかったりして波瀾万丈の生き方をされている学者さん。
合気のヒントが、もちろん稽古の中にたくさんあったみたいだが、覚るという部分では
普段の生活、生き方からきている。
たぶん大東流の中祖・武田惣角、合気道の植芝盛平もなにかあったに違いない。
植芝開祖は大本教に出会って劇的に変わったらしい。
うちの師範の生き方も同じようだ。
事業でなにか目指そうとしている。
仕事ではなく、修行の一環なのかもしれない。
いつかは何かが自分にも見えてくるのだろうか?
意外に武道経験者は多いもんだ
2008 / 01 / 20 ( Sun )
今日の撮影現場で、柔道3段、剣道、極真空手、伝統空手、などいろいろ。
身の回りには武道経験者が多いのにびっくり。
日本の教育に義務として、日本武道はあればいいのにと思う。
体を鍛えることも大切だし、その中から学ぶ精神的なことも大きい。
戦前の教育がよかったと言う人もいる。
武術の名人と言われた方達の本を読んでいると、そうかもしれないと思う。
昔の人の道歌に
「教えおく ことたがわずば 行く末の 道遠くとも 後は惑わじ」
とある。
尊敬する人として
2007 / 12 / 28 ( Fri )
尊敬する人として宇城憲治という空手家がいる。
元・極真空手の世界チャンピオンや、有名な武術家が弟子入りするくらいの人だ。
武術家としても尊敬するのだが、ビジネスマンとしても大成功をおさめている。
理想的な境地だ。
武術に、ビジネス、音楽、いろんなジャンルがあるが、
その道で極めている人たちはすごい。
ビジネスでは、松下幸之助、稲盛和夫、ジム・ロジャース、などいろんな方達がいる。
みんな共通するのは、追求する姿勢と、人徳だ。
前にもブログに書いてたような気がするが、
独立するとき、
「社長は社員の下働き」と言われた。
その社長は、仕事は厳しいが、旅行などに行くと、
プレゼントを買ってきたり、いろいろと気を使ってくださる。
こういう社長には、一生懸命に仕事をしてお返しをしようと思う。
このような社長が自分にとって、現在3名いる。
仕事でも、武術でも、指導したり、指示したりする立場の者は、
「徳」をもって挑まなければならないと思う。